第122回 「価値の時代」の令和に、ショッピングセンターは世に何を提供できるか?

元号が令和に変わり7年が経つ。この間、われわれは予測できない多くのことに直面してきた。自然災害にパンデミック、そして情報技術の進歩とAIの進化、一方でいまだ続く戦禍。誰も来年のことなど予測できない時代にあって、ショッピングセンター(SC)が今なすべきことはどのようなことだろうか。今回は、経営の視座について考えていく。

Eva-Katalin/iStock

新しい製品が多く生み出された「製品の時代」昭和

 戦後の復興から人口増加を背景にした高度経済成長社会が到来し、昨日より今日、今日より明日と一生懸命働けば確実に生活の質が向上した昭和は、新しい製品(商品)が数多く生み出された。

 古くは3種の神器と言われた「冷蔵庫洗濯機掃除機」の家電製品、そして3Cと呼ばれた「カラーテレビ、自動車(Car)、クーラー」。これらの登場により市民の生活は一変、余暇時間を手に入れることになった。手洗いを自動洗濯機に、ほうきを掃除器に、ご飯は電子ジャーが炊き、冷蔵庫が食料品を長期に保存し、われわれを家事から解放した。

 テレビは娯楽を提供し、クルマの普及は生活範囲を広げた。このように新しい製品の登場が相次いだ昭和は、言わば「製品の時代」だったのである。

 しかし、為替が固定平価制から変動相場制へ移行してからは、低成長経済に突入した。これまでのような右肩上がりの経済は期待できないと思っていた矢先、プラザ合意以降のバブル景気が勃発、お金に浮かれた日本がしばらく続いた。

バブル崩壊、デフレ経済が続いた「価格の時代」平成

 このバブルの崩壊と期を同じくして始まった平成の時代は、失われた30年と言われ、物価は上がらずデフレ経済が続いた。労働者の賃金は横ばいを続け、他国と比べ大きく後れを取った時代を過ごした。

 しかし、社会は安定し、それまで高額だと思っていた洋服、眼鏡、家具、スーツ、寿司、時計、PCなどあらゆる分野で価格破壊が起こり、低価格化にまい進した30年となった。

 これまで職人が握っていた寿司が回転し、オーダーだったスーツが2プライスストアとなり、デパートの貴金属売場にあった眼鏡売場は大衆化され、いとも簡単に検眼を行う安価な眼鏡となった(それまで私は眼鏡の検眼には特別な免許が必要だと思っていた)。

 そのほか、100円均一ショップ、100円ハンバーガー、300円の牛丼など企業努力により多くの製品(商品)で価格破壊が起こり、あたかも平成は「価格の時代」となっていた。アイスの値上げでお詫び広告を出す企業もあるほど、値上げが悪のような雰囲気さえ漂っていた。

物価上昇が到来し市民生活に影響

 最近、ようやく物価上昇が見られるようになった。エネルギーコストの上昇、働き手の減少、時間外労働などの規制、円安による輸入コストの増加など理由は多岐に渡るが、徐々に市民生活に影響が出ている。

 ただ、インフレ目標2%を掲げ、物価の上昇と経済の成長を誘導するのが政策であれば、物価上昇は歓迎すべきと思うがそうでもないらしい。米価の上昇も、5kg4000円はお茶碗75杯分だから、1杯は53円だ。1400円のカフェのコーヒーに比べたら非常に安い。ガソリンの1170円に対しても、500mlのペットボトルのお茶が150円であることに比べたら安いと思うが、人によって感じ方は違うようだ。

 ここへ来てさらに価格を下げる行動に出る企業もあるが、価格の低下は賃金の抑制を生み、いつまで経っても失われた30年は続くことになろう。また、物価対策としての国民への一時給付金は、経済理論に照らせば需要の喚起につながる。その結果、物価はさらに上がることになると思うがどうだろうか。

ページ: 1 2

Previous Post Next Post