第2創業期に向けて改革を断行、関東への積極出店も再開
コスモ電材(福岡県/新田勝人社長)は、国内唯一の業態といわれる電材専門店で、現在21店舗を展開する。九州エリアを中心に店舗網を広げてきたが、昨年から一気に関東エリアでの出店を強化し始めた。
昨年入社し、大胆な業務改革に取り組む市原義文取締役COO(最高執行責任者)に同社の現在と今後について聞いた。
国内唯一の“電材コンビニ”
――コスモ電材の沿革と企業概要について教えてください。
市原 もともとは家電小物商品卸売業の九州電器販売(福岡県/新田浩太郎社長)が始めた小売ビジネスで、その小売部門をスピンアウトするかたちで、2010年にコスモ電材を設立した。
電気工事材料(電材)の専門小売店で、エアコン部材、工具、配線器具、分電盤、照明器具など、約1万アイテムを扱う。おそらく、国内では同じような業態はないだろう。主な客層は電気工事業者で、いわゆる「一人親方」が多いBtoBの商売だ。

電材はホームセンター(HC)でも扱っているが、専門知識が必要な商品も多く、パート・アルバイトが主体のHCでは売りにくく、品揃えも少ない。小泉(東京都/長坂剛社長)が運営する「プロストック」やDCMホールディングス(東京都/石黒靖規社長)の「ホダカ」といったプロショップも競合だと言われるが、プロショップでもなかなか扱いにくい商材だと思う。
創業当初は、顧客が電材を小売店舗で買えることを知らず、認知度を上げるのにかなり苦労したようだ。また、顧客のニーズを知るために、新田社長は国家資格を取って、実際に現場でエアコンの取り付けなどをして電材の使い方を確認しながら、一人親方の潜在ニーズを理解し、商品を仕入れていった。
九州の福岡エリアに1号店を出し、大手家電量販店の下請けが集まるような場所に出店した。一人親方の間で、「何かわからないことがあれば、コスモの新田社長に聞けばいい」という口コミが広まって顧客が順調に増えて、北九州、熊本、佐賀などにも店舗網を広げた。
その後、2005年には都内に2店舗を出店した。首都圏では約20年間はこの都内の2店舗だけだった。九州でも18年に出店した「小倉東インター店」(福岡県北九州市)を最後に出店していないので、この6年間は新規出店をしていない。当時、出店は、物件探しから仕入れ先の開拓、店舗づくりまで、新田社長がすべて一人でやっていたため、店舗を増やすのが難しかったのだと思う。
――市原さんは、どんな経緯でコスモ電材に入社したのですか。
市原 昨年2月に、COOとして入社した。23年に投資会社のキャス・キャピタル(東京都/川村治夫社長)がコスモ電材の株式を取得した。私はこれまで十数年、いろいろな投資ファンドの仕事をやっていて、それが縁で入社した。従来は赤字会社の立て直しに取り組んできたが、コスモ電材は黒字経営。こういうケースは初めてだ。
トップダウンからボトムアップへ
――入社したとき、コスモ電材はどんな企業でしたか。
市原 トップダウンの文化が根付いていた。新田社長はだれよりも電材の商品知識があるカリスマなので、当然のことだろう。しかし、成長期から安定期に入って、利益は出ていたが、来店客数が減っていた。社長が一人で当時の19店舗すべてを管理するのも限界だったと思う。そこで、客数減などの課題に組織全体で取り組むことにした。

市原義文(いちはら・よしふみ)●1967年9月30日生まれ、熊本県出身。
学習院大学卒業後、日産自動車、外資系大手コンサルティングファーム、ローソンなどで多数の新事業企画の立ち上げに従事してきた。
ローソン在籍時には、国内最大のポイントカード「Ponta」を企画立案した。
2020年4月より、経営コンサルタントのシャイン&コーを立ち上げ、代表取締役社長(現任)。
24年2月よりコスモ電材取締役COO(現任)。
主な著書として、『アイデアをお金に変える「マネタイズ」ノート』(三笠書房)、
『いつも結果を出す管理職が必ずやっている80のこと』(日経BP)。
――まずどんな目標を掲げたましたか。
市原 シンプルに2つのメッセージを社員に伝えた。まずは、客数を増やすこと、そして予算達成をめざそうと。
その前提として、コスモ電材は「電材のコンビニ」だと宣言した。「電材のコンビニ」が成り立つには条件がある。顧客の困り事に応えるためには、顧客が困っているときにこそ、十分な品揃えと在庫が必要だ。また、現場や顧客が求める商品ニーズのことがわからなかったら、代替品の提案もできない。つまり、豊富な商品知識や現場感覚などの人間力が重要で、これこそがコスモ電材のキモになると話した。
――具体的に、客数増加と予算達成はどのように進めたのでしょうか。
市原 客数増はなかなか苦労した。2月に入社して、客数増が見えてきたのが7月。その後、8月にはまた減って、9月に盛り返して、10〜12月の四半期には前年を上回った。顧客を取り戻すために、品揃えや発注、在庫の持ち方、接客などを見直し、QSC(クオリティ、サービス、クリンリネス)の基本徹底にも努めた。
今までトップダウンでやってきた社員に、急に顧客を知って、自分たちで考えようと言っても難しい。そこで、最初は愚直に顧客を観察してもらった。その一方で、顧客に対する自分の印象をあらためてデータで確認するように指示した。現場ではデータ分析等はほとんどしたことがなかったので、本部で資料をつくり、客数や買上単価のデータと自分の印象が合っているか確認できるような環境を整えた。主観と客観のギャップを知るのだ。
また、月に一度、「市原塾」という店長向けの勉強会を実施した。私の講義の後に、4〜5人のチームで特定のテーマに基づくワークショップをして、その結果を発表する。それによって、私自身も各店長に対する理解が深まり、店長同士も親交が深まった。ワークショップで出たよい意見は、積極的に実践するように勧めた。そんなことを繰り返して、社員が自然と考えることを身につけて、考えて実践することが面白いと感じてもらうことで、目標達成につなげていった。
市原塾では、「店番から店長へ」ということも訴えた。単に顧客にあいさつし、レジ打ちするだけの店番ではなく、売上と利益を上げるのが店長の仕事だと話した。そのためにも、店長は顧客のことをいちばんよく知っていなければならないし、それが顧客に伝われば、必ずリピーターになってくれる。
――市原塾をやって、最も大きな変化は何でしたか。
市原 店長たちがお互いに刺激し合って、売場が大きく変化したことだ。売場づくりでは、各店長がつくった売場の写真をLINE(ライン)に投稿して参考にした。中には、売場づくりが苦手でも積極的にラインに挙げる店長がいて、それが刺激になって、ほかの店長も競ってラインに投稿し始めた。競い合うことで、全体の売場づくりのレベルが格段に上がった。
一方、なかなかラインに挙げなかった店長もいたが、ある日、その店舗を訪れて、見事な売場づくりに驚いた。「自信がなかったから、投稿しなかった」と言う店長に、売場づくりのうまさを褒めたら、その後はどんどんラインに挙げるようになり、売上も前年比119%に伸びた。そして、ほかの店長もその店舗を見に行くようになった。
このように頑張る店長が出てきたことで、社内の雰囲気が一気に盛り上がった。