AIチャットは産業を弱体化させる! 教育分野における「問いを立てる力」の再考
生成AIやAIチャットの急速な普及は、産業界のみならず教育分野にも及んでいる。論文執筆や研究補助にAIを使うことが許されるべきか否か、大学院の場で議論されていること自体が驚きであった。なぜなら、「AIチャットを許すか否か」という問いは、裏を返せば「問い直す力」「批判力」「論理思考」「クリエイティブ思考」「リーダーシップ」といった、人間にしかできない領域こそ高等教育で育むべきだという本質を忘れているからである。

AIの便利さと問う力の喪失
AIは便利であるがゆえに、人間の問いを奪う。
たとえば「カタログ通販の将来性」をAIに問えば、紙媒体の衰退を認めつつも、SNSのフィードや動的写真を「広義のカタログ」として解釈し、世界的には成長産業だと答える。これは一見正しいように見えるが、実際には言葉のすり替えであり、現実の構造的衰退を覆い隠す。問いを立て直さなければ、誤認が固定化され、産業は誤った安心感に浸る。
教育においても同様だ。AIが答えを与えることに慣れれば、学生は問いを立てる力を失う。問い直す力が失われれば、研究は空洞化し、教育は「答えを探す訓練」に堕する。
日本の教育制度の構造的問題
日本の教育制度は、古くはイギリスを参考にしたものであり、画一的で従順な国民国家を形成するために設計された。戦後の高度経済成長を支えたのは、確かに「画一的な答えを探す力」であった。人間爆弾をつくり、「24時間戦えますか」というキャッチコピーを生み出す力は、奇跡的な経済成長を可能にした。
しかし、先進国の仲間入りを果たした後も同じ教育制度を続けた結果、われわれは「考える力」を創出できず、どんどん貧しくなっている。日本の教育は「答えを探すこと」を教えるが、実務では「答えにしてしまう」人間が勝つ。そのためには、徹底したディベート、議論、討論を繰り返すことだ。教育が「従順な答え探し」に留まる限り、産業は自律的な改革力を失い、弱体化する。
海外教育との比較と絶望
私は海外で教育を受けた経験がある。そこでは、教師はファシリテーションに徹し、学生同士が互いに自己主張をしながら”知的汗”をかく格闘を繰り広げていた。問いを立て、議論を重ね、批判し合い、そこから新しい知を創出する場であった。
しかし、日本の大学院ではまったく異なる光景が広がっていた。ある授業では「全体の空気を読んで回答できない」という理由でF評価を受けるケースがあった。これは「問いを立てる力」ではなく「空気を読む力」が評価基準になっていることを意味する。教育が問いを奪い、従順さを強いる構造に絶望した。
「総低思考化」の危険
AIは産業を直接弱体化させるわけではない。だが、AIに依存しすぎることで、人間が問いを立てる力を失い、現場の学習が止まり、資産が死蔵化し、外部依存が常態化する。その結果、産業は自律的な改革力を失い、弱体化する。
教育においても同じだ。AIに依存すれば、学生は問い直す力を失い、批判力や論理思考を鍛える機会を失う。問いを立てる人間が減れば、社会全体の知的水準は低下し、「総低思考化」が進む。これは産業弱体化の最大の要因である。
高等教育の使命
高等教育の使命は、答えを探すことではなく、問いを立てることである。批判力、論理思考、クリエイティブ思考、リーダーシップといった人間にしかできない領域を育むことこそ、大学院教育の本質である。
AIチャットを論文に使うか否かという議論は、表面的には技術利用の是非だが、実際には「問いを立てる力を教育の中心に据えるか否か」という根本的な問いを突きつけている。もし教育がAI依存に傾けば、学生は問いを失い、産業は弱体化する。逆に、AIを補助的に使いながらも、問いを立てる力を徹底的に鍛える教育を行えば、産業は強靭化する。
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便利なAIチャットは、産業を直接的に弱体化させるわけではない。しかし、AIに依存しすぎることで、人間が問いを立てる力を失い、教育が空洞化し、産業が弱体化する。日本の教育制度は、従順な国民を育てるために設計され、戦後の経済成長を支えた。しかし、先進国となった今、必要なのは「問いを立てる力」を育む教育ではないか。
産業を弱体化させるのはAIではなく、問いを失った人間である。教育が問いを取り戻すことこそ、産業再生の第一歩である。
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